2020年6月のブログで、
塩尻峠の戦いの後、洗馬の三村氏の夜泣き石伝説が生まれたことを書きました。
天文二四年正月二四日於甲州一蓮寺一族主従二百十三人亡死。
三村長親主従が虐殺され夜泣き石伝説が生まれましたが、
長男三村長行勘兵衛は、天正十年小笠原貞慶深志復帰に尽くし洗馬旧領三千貫を与えられました。
滅んでなんかいませんでしたね。
浅学大変失礼いたしました。
ちなみに、小笠原流は武家の作法を重んじたそうです。
おそうじの作法もあるのか知りませんが、
自由すぎてバランスが崩れがちな今の時代、
「形式」に魅かれたりもします。